ぼんじんブログ

凡人の凡人による凡人のための日記

「フロー」と「ストック」初めて知りました

正直この言葉を知ったのは、恥ずかしながら私凡人の37歳2020年今年の初めの話であります。未だに理解はしていませんが、経営をするだけでなくビジネスをする以上は必要なことだという事だけは理解できました。いつかはしっかり学ばなければと思いつつ、後回しにしてきましたが、最近仕入れる情報にやたらとこの言葉が出てくるので少し書いてみようと思います。

 

まず理解しているところから言うと、「フロー」とは流れのことで経済的にはキャッシュフローと言ったりします。収入や支出のことで、ある一定期間のお金の流れにあたります。「ストック」はある時点での蓄積量のことで、資産にあたりフローとは対の関係にあるということです。

 

 

そこで最近よく見かけるのは何かと言うと、フローを重視してばかりいる資本主義が行き詰まってきていると言うことです。見かけのお金の流れや売り上げ、そこにばかり重きが置かれるようになってしまった。効率化や最適化ばかりが求められているということです。

 

「ストック」というのは色々な事柄に置き換えられると思います。お金に囚われない見方をすれば、「人との繋がり」であったり、「信頼」なども「ストック」であるといえます。目先の売り上げももちろん大事ですが、その先にある「人との繋がり」や「信頼」を貯めていく事も、この崩れかかった資本主義の時代には大事なのかなと思いました。

 

さらにもう一つ上げると、「食」についても同じとこが言えると思います。すぐに食べれるコンビニ食や、繋がりなどの希薄なファミレスなどは「フロー」だといえます。便利だけど味気ない。それよりも人との繋がりがあり落ち着けるお店や、先日書きましたが手間はかかるけど自分で仕込んだ味噌なんかは文字通り「ストック」になってくれると思います。

 

 

そういう視点で物事を考えれるようになれれば、自分の中に「ストック」が貯まっていき人生が豊かになるんじゃ無いかと信じています。

 

 

アーユルヴェーダ味噌造り

念願の味噌造り。作りたい作りたいと思ってはいたけど、保存方法とか分からないし、どのくらい仕込めばいいのか分からない。そんな中で妻の仕事の関係でアーユルヴェーダ味噌造りというのを発見し、オンラインも可能という事なので参加してみることに。

 

アーユルヴェーダってなんだっていうと、サンスクリット語でアーユス(生命)とヴェーダ(科学)を合わせた「生命科学」という意味でインド・スリランカ発祥の伝統医療ということです。日本ではオイルを使ったリラクゼーション系のマッサージとして有名ですが、「心」と「身体」を健康に保つための予防医学なんだそうです。

 

味噌造りの材料ですが、「大豆」「麹」「塩」「水」この4つのみ。アーユルヴェーダ的ということもあり大豆ではなく「ひよこ豆」を使います。麹に関しては米麹やら麦麹やら色々ありますが、今回は「プリンセスサリー米」というまさにインドぽい名前のついた、バスマティライスを日本で栽培出来るようにした有機米を使います。

 

まず前日にひよこ豆を水に浸します。f:id:zono2400:20201008033020j:image

そして前日にやらなくてはいけないというか、やってはいけない事が一つ。それは納豆を食べてはいけないということです。納豆菌というのはかなり強いらしく、他の微生物に勝ってしまって味噌が納豆臭くなってしまう。菌の世界も大変ですね。

 

そんなこんなで当日オンラインの味噌造り会がスタート。まずは豆を煮ていきます。3時間ほど煮て豆が指で潰れる様子をカメラで見せて、オッケーをもらいます。この時の豆の煮汁が甘くて旨味が凝縮されて、最高のダシになります。それを元にカレーを作り翌日美味しく頂きました。

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豆が煮えたら形がなくなるまでつぶして、麹と混ぜていきます。その時、もともと手に着いている常在菌というのが活躍するそうで、子供の方がそれがたくさん居て、乳酸菌などが多いので美味しく発酵が進むそうです。最近はコロナで手ばっかり洗うようになりましたが、こういった菌とも共生していくことも大事なんですね。

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そして捏ねまくったら団子状にして空気が入らないよう袋に入れて仕込み完了です。単調だけど、みんなでやると楽しいし素手で常在菌が行き渡っていると思うとワクワクします。我が家の常在菌はどんなお味か。

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あとは水気の少ない場所に置き、カビさせないよう一日一回見てやる事が大事みたいです。ひと夏過ぎたら食べ頃みたいなので、気長に熟成を待ちます。この時間を贅沢と感じるかはその人次第。味わいながら楽しんでいきます。

 

 

 

 

結局小さな一歩

昨日は中秋の名月でしたね。近所で呑んだあと電車で帰るのがもったいないから、ビールをもう一本買って散歩しながら帰るのが好きです。その時に聞く音楽もかなりこだわるけど、昨日はばっちりの選曲が出来たんじゃないかと思っています。

https://youtu.be/TCm-naJ7Z80

https://youtu.be/tl-ow_iQW20

 

昨日の飲みの相手は取引先だけど年下のいわば後輩みたいなやつ。今居る状況から抜け出さなきゃいけないのは分かっている。だけど、一歩が踏み出せないという感じでした。

 

でも一歩を踏み出すのってすごいエネルギーが必要ですね。物理の法則でも動いてないものを動かすときが一番エネルギーがいるみたいな話があった気がする。車でもあのでかい車体を動かすのに最初はかなりアクセルを踏み込んでいると思います。

 

動き出せばあとは加速するなり減速するなり、コントロールは効きやすくなる。少しは違う世界が見えて新しい発見の連続が待っているというのも分かるんじゃないでしょうか。そうは分かっていてもやっぱり動き出せない。色んな不安があったりすると大きな一歩はなかなか踏み出すのは簡単じゃない。

 

そこでオススメなのが、小さな一歩を踏み出すこと。そして踏み出し続けること。普段から挑戦していない人が、いきなり大きな一歩を踏み出そうとするのはそもそも難しいことです。なので身の回りにある小さな一歩をまず踏み出してみる。自分が今やってしまっている辞めたい習慣を辞めてみるというのも小さな一歩だと思います。

 

何かを始めるより、何かを辞めてその変化が小さな成功体験になる。その方が一歩を踏み出しやすい。その積み重ねをちょっとずつ大きくして行くことが大事なのかなと思います。

 

 

面倒くさいのは贅沢なこと

先週末の土日で自分の親と妹家族の3世帯で、東京都の檜原村にキャンプに行ってきました。東京とは思えないほどの大自然と、程よい規模感のキャンプ場で密かなお気に入りです。

 

キャンプというとゆったりと優雅な時間が流れ、夜は焚き火を囲んでまったりと酒を飲むみたいなイメージを持っている人も多いかと思います。しかし実際は準備がすごく大変でゆったり出来る時間なんてほんのわずかです。あくまでもわが家での場合はかもしれないですが。

 

キャンプ場に着くまでに2時間程、途中で食材の調達などをすると3時間かかる場合もあります。大体チェックイン目指して行くけど、1時間位遅れます。

 

着いてからとりあえずのビールを一本。この瞬間は何ものにも耐えがたい。ビール片手にテントの設営を始め、色々と試行錯誤しているうちに1時間位経過。なんだかんだ15時くらいになってしまいます。

 

子供と一緒にちょっとそこらを散策なんてしているとすぐに日が暮れます。山の日は短い。17時くらいにテントに戻ってご飯の準備を始めます。野菜を洗うのにも炊事場が遠かったりで時間がかかる。すぐに料理スタートとはいきません。18時くらいに子供用も含めた初回の料理が出来上がり、あとはビールでも飲みながらつまみなんかを作っていきます。

 

そうこうしているウチに、子供が寝るのが20時くらい。無事寝かしつけると、やっと落ち着いて焚き火でもしながらお酒をゆっくり呑めるようになります。そして辺りは暗く周りも静かなので、あまり深酒しない自分は22時くらいには寝てしまいます。

 

こう書いてみると常に何かしていて、ゆったり出来ているのは20時から22時のおよそ2時間くらい。休日なのにあまりにもコスパが悪いですが、その過程にこそ価値があると思います。

 

テントを建てるなんて毎回面倒くさいですが、試行錯誤すると毎回違った装いになる。ご飯も時間をかけて作った割にはすぐに冷めるけど、限られた環境の中で作って食べるものは美味しい。

 

都心にいるとすぐに暖かい部屋に入れるし、適温の料理がタイミング良く運ばれてくる。なんでも最適化されて便利になってきています。キャンプはそのいろいろな過程で面倒くささを楽しむものだと思います。それを終えたからこその20時から22時の至極の時間が訪れます。全然効率的じゃない時間の使い方。

 

他にも楽しむ要素はたくさんあると思いますが、意外とこの現代でこの面倒くさいというのを楽しむということが大事なんじゃないかと思っています。

「宗教」と「ブランド」

「宗教」とか「信者」というと日本人はあまりいいイメージを持って無いのではないだろうか。最近の日本は新興宗教による怪しい事件やしつこい勧誘なども多く、どうしてもそういったイメージを持ってしまいます。

 

しかし本当はもう一つ理由があると思います。それはこれといった信じるに値するモノが無いという事です。日本には昔から仏教や神道が文化に根付いていますが、それを自分の信じる宗教だと思ってる人は少ないんじゃないかと思います。そのかわりに全体を覆う「日本教」があると言われています。自分もそれに同感します。

 

この信じるものがないというのが「宗教」を信じれない理由であり、何かを信じれないという自分を信じれないということにも繋がるんじゃないかと思います。

 

一方「ブランド」というのはその「価値」を信じる事で生まれます。ルイヴィトンのカバンはそれがモノを詰める袋以上の価値があると信じるから、お金を掛けてでも手に入れたいと思うのでしょう。信じる事で生まれると言う点では宗教と近いといえます。ブランドも熱狂的なモノになれば信者も存在するはずです。ディズニーランドは信者だらけです。

 

消費活動では価値を信じたり熱狂的になったりするのに、生き方とか思想とかに共感したりすると「宗教」とか「信者」と敬遠してしまう。それはそういった価値観をその人が信じていないからではないでしょうか。そういった価値観が無いから全体の空気感でなんとなく馬鹿にしてしまう。

 

 

オンラインサロンも同じような扱いを受けてると感じる事があります。中で何をやっているか分からないから怪しい。これからインターネットが閉じてくると中の見えないモノに対する怪しさや不信感は増えてくるんじゃないでしょうか。

 

 

会社のブランディングも価値を信じてもらうところにあると思います。社会との関わり方や思想に共感してもらえるかが、良いブランディングといえます。小さくても信じてくれる人がいる会社を目指したいと思う今日この頃です。

「凡人」と「起業家」

「疲れないために生きていない。疲れない中で生み出されたサービスには誰も心を動かされない」

何かと気になる起業家のKさんがおそらくこんな事を仰っていたかと思います。そしてこれこそが凡人と出来る起業家の大きな違いなんじゃないかと納得してしまいました。

 

凡人は疲れたら休むというのが当たり前だと思い込んでいます。疲れたら仕事は終わりで、ご褒美にビールでも飲んで仕事とプライベートを分けて考えてしまいます。要するに時間を売って労働をしているという事です。時間を売って労働している間は成長は見込めないと思います。それを脱するためには何よりもまずは自分の商品を持つこと。そこを考えていかないと、凡人を脱することは出来ません。

 

起業家じゃないにしても、まず疲れを感じないほどにやりたい仕事をしているかという壁もあると思います。やらされていると感じる仕事か、自分で選んでやっている仕事か。自分の場合はやらされているとは感じてはいませんが、誇りを持って疲れを感じないくらいに打ち込めるサービスというものはまだ出来ていないと思っています。なんとか疲れを忘れるくらい打ち込めるサービスなり商品を作り出したい限りです。

 

 

「悩む」と「考える」2

先日書いた「悩む」と「考える」の違いについて別の視点から考えるきっかけになるコンテンツに出会いました。こうやって思考を巡らせていると、向こうからやってくるというか点と点が繋がって線になることがあり面白いです。

 

bon-zono.com

 

 

それは一歩踏み出せる人という記事だったんですが、要約すると

一歩踏み出せない人は永遠に悩んでいる。悩むのではなく、正しく素早く考える事が必要だ。

という事が言われていました。先日書いた記事を逆の視点から見たモノで色々と繋がった気がして嬉しくなりました。

 

もう少し踏み込むと、正しく考えるというのは、何に答えを出すべきか分かっているというのも大事だと言っています。言い換えれば言語化できる力。

 

コロナで様々なことが不安に感じるようになりました。そんな時に自分は何を不安に思っているかを言語化します。やはり自分はお金の心配がまず来ました。「今の会社でいいのか?復業を始めた方がいいのか?転職するにしても映像業界を続けて先があるのか?」こうして掘り下げていくと「自分には能力がないとか、転職してみて失敗したらどうしよう?」とか、「残念な自分」にぶち当たります。「残念な自分」は見たくないのでそこで考えるのをやめてしまい、こうやって掘り下げることをやめてしまいます。

 

一歩踏み出せる人は何に答えを出すかを明確にしていて、そこに対する課題意識がしっかりしている。そのうえでどんな選択肢があるかと具体的に考えることができるということです。自分の場合コロナで生活様式も変わるので、文章を書く能力を身につけようと思いました。まだ何かの足しになってるとも言い切れませんが、ブログを書いている時間を含め考える量は増えたと思います。これが実を結ぶかは分かりませんが、とりあえず一歩踏み出してみるということも大事なのかと思います。